2周年
ウレシカが5月1日で2周年を迎えた。
会社員時代は、いつか会社を興して、世界にまたがるビックな仕事をして、デッカイ家買って、外車乗って、大型犬飼って、週末はゴルフとフライフィッシング三昧、浮気相手はミスさくらんぼみたいな生活をイメージしていたところがあったので、個人店店主という現状をあの頃の僕がみたら確実に渾身のドロップキックを見舞っているだろう。
ところが、個人店およびお客さんとの繋がりが、面白くて温かいことを、あの頃の僕は知らなかった。
笑和堂店主から大量の野菜をもらい店の冷蔵庫に保管していたら、「今日が誕生日です」と笑和堂で会った夫婦がきた。もらったカリフラワー1個(298円)と1/3飲みかけのメルシャン白ワイン(630円)をあげた。総額500円。
帰り道、パン屋の中から「ダイさん!」と呼び止められた。ウレシカで本を買ってくれた青年がバイトをしていた。「初めての知り合いですよー」と照れながらバゲットと大納言という小豆の入ったパンを薦めてくれた。
500円を支払い、また店に来て、と別れた。
会話がある店はいいなーとニヤけてパン屋を出たら、彼が買ってくれた本は、旅粒という500円の本だということを思い出した。嬉しくなり、さらにニヤけて大股で帰った。
カネや外車やさくらんぼはないけれど、世の中は、モノやカネが廻っていて、温かい人達がいるということを実感できた2年だったと思う。
あの頃の自分に、カウンターのラリアットをお見舞いする気分で、3年目も張り切ってやっていきますので、みなさん、よろしくお願いします。
2012年5月 5日 11:01 | | コメント (0)
冊子
東欧自転車旅行記「Hungary is flatter than a pancake」を小冊子にしました。
どんだけ格好つけてるんだよ、って感じの文章なんですけど、僕としてはあの旅はやっぱり自分を何かから救ってくれた旅だったんです。その後の人生を一変とはいわないまでも、変えた一生のビックトリップだったんです。
「キャリアに傷がつくし、面接なんかしてもストレンジャーとしかとられないから、旅なんてしないほうがいいよ」と強がっているけれど、心の底では、「旅したほうがいいよ」って言いたいんです。「旅には人生を一発で方向づける力があるんだぜ」と言いたいんです。
表紙とデザインはイラストレーターの嶽まいこさんが描いてくれました。ありがとう。
Hungary is flatter than a pancake
ダイ小林
380円(税込)
ネットでも購入できるようになりました。こちら
2012年3月16日 14:07 | Hungary is flatter than a pancake. | コメント (0)
Hungary is flatter than a pancake. 【1】
「ハンガリーはホットケーキより平ら」
ソフィアの古本屋で買ったガイドブック、「ロンリープラネット・ヨーロッパ編」(Lonely Planet Europe)は、ハンガリーがいかに平坦な国土なのかをホットケーキに例えて紹介していた。
日本を出てから9ヶ月。中国、東南アジア、インド、中東を経て、ヨーロッパに入った。アジアや中東に不気味な恐れを抱いていた出発前。ヨーロッパまで行けば、安全で洒落た旅になると思っていた。憧れのヨーロッパ。辿り着いた感慨は多少あったかもしれない。しかし、重厚な建物、整備された石畳、街ゆく人々の目、都会の早く乾いた空気。安堵するはずだったその全てが、まるで長期貧乏旅行者を拒んでいるかのようだった。途方もない孤独を感じていた。
ユーラシア大陸陸路横断を決意したのは、1年前の6月だった。もっと言えば、高校3年のときに偶然手にした「深夜特急」を読んだあとだったかもしれない。
代々木の小さな製造装置メーカーの営業職として、国内や台湾などの半導体・液晶メーカーに自社の製造装置を販売する仕事をしていた。大した結果も残せずに悶々としていた3年目の春。柔道整復師の学校に通っていた兄同然の友人が、火事で大火傷を負った。蝋燭の火がカーテンに引火したのが原因だった。
「今しかない」と焦った。
いつ何時、事故や病気で自分の命が終わってしまうかもわからない。やりたいことをするべきだ。僕のやりたいことは、この会社で10年間勤勉に働いて、部長になることじゃない。沢木耕太郎のように世界を旅したい。ユーラシア大陸横断だ。25歳のなんとも青臭い決断だった。
ブルガリアの首都ソフィアのユースホステルで地図を広げて頭を抱えていた。
旧ユーゴ圏に入り、イタリア・フランス・スペインの南ヨーロッパ諸国を抜けて、最短距離と時間で目的地のロカ岬に行くか、北上して東欧、中欧、ドイツを経由し、オランダ人の友達レネの住むアムステルダムに寄っていくか。資金が続くかどうかという問題だ。
手元のトラベラーズチェックは、9ヶ月の節約生活にも関わらず、頼りない厚さになっていた。インドで会ったブラジル人女性に奢ったことを後悔した。彼女の食事代や長距離電車賃を負担してしまった自分を責めた。ムンバイで少年団にスラれた600ドルも痛かった。スラれたにも関わらず、直後にマクドナルドのマハラジャバーガーなんか身に余る高価なものを食べたのも反省すべき点だ。決して金がないのに女の子に奢ってしまったり、やけになって必要のないモノを買ってしまうのは僕の悪い癖だ。中国からお腹に巻いてきたマネーベルトは、そんな衝動的な出費も響いて、予定よりかなり薄くなっていた。いくら数えても、西ヨーロッパの物価の高さを考えたら、ドイツやフランスで悠長にビールやワインを楽しむなんて到底できそうにもなかった。
つづく
【2012.1 追記】
旅をテーマにした3月の展示にあわせて、この話の小冊子を販売するになりました。そのため、このブログに掲載していたつづきは削除させていただきました。冊子は大幅に加筆修正したので、もうブログで読んだよ、という方も、調子に乗るな!という方も宜しくお願いします。
詳細は、またお知らせします。
2011年3月 9日 07:02 | Hungary is flatter than a pancake. | コメント (2)
オアハカの宿予約
メキシコ南部のオアハカという町に、小さな宿があります。伝統的な装飾品や調度品がカラフルに飾られたステキな宿です。
3年前、その小さな宿を予約するには電話しかありませんでした。
しかも対応はスペイン語オンリー。
英語がまったく通じずに、メキシコシティ空港の公衆電話の前で一人で呆然としていると、近くで掃除係のおばちゃんが床を掃いていました。彼女に頼もう!とひらめいて、「これで、自分の代わりに宿へ電話してくれませんか」と持っていたガムをみせて必死に予約を懇願しました。
おばちゃんは、あっさり「シー」と頷いて引き受けてくれました。しかし、彼女は英語がわからず、会話の頼みはペンと紙、身振り手振りと付け焼刃で覚えたヘッポコスペイン語だけでした。名前や泊まる日付を苦心して伝えると、彼女は受話器を握り、「ハポネスがトマリたいと言ってるわ。コバヤシというナマエでカネはなさそうだけどイケメンなの。トメテやってくれない」(推測含む)と掃除をしている姿からは想像もできない凛としたハキハキ声で予約をしてくれました。
宿との電話が終わったあと、おばちゃんは満足そうに受話器を置いて、「やったわ」と満面のドヤ顔で白い歯を見せてくれました。あんたの人生、まとめて面倒みてあげる、というような深大な笑顔は今でもはっきり覚えています。
その電話でしか、スペイン語でしか予約が取れない宿が、ネットで、英語で、予約ができるようになっていました。
あの空港での出来事、見知らぬおばちゃんの優しさや一体感を味わった身としては、予約が全てモニター越しに完結してしまうのは寂しいことです。
抗し難いネットとグローバル化の中で、人とのリアルな交流の場は減り、言語の壁はますます低くなるのでしょうか。でも、言葉なんて通じないほうが通じると僕は思っているし、いい人も悪い人もひっくるめて、人に会うことこそが僕にとっての旅です。便利の追求が、旅の楽しみをも奪ってしまわないかとソワソワしています。
※2011年9月 4日にアップした記事です。記事順変更のため日付を変えました。
2011年3月 8日 00:00 | | コメント (0)
桜上水団地
1月中旬からアリ塚を作るように家の荷物をコツコツ運び続けていた。
建替えのため、住んでいる団地を引っ越さねばならなかったからだ。
僕が、築45年の桜上水団地に初めて来たのは、2005年が2006年になる大晦日の夜だった。この団地に住んでいたツマが、恒例になっている年越し呑み会に誘ってくれた。
当時、まだ僕らは知り合いの知り合い程度の仲で、団地のことは知らなかった。桜上水という駅自体も降りたことがなかったが、言われた通りにサクラジョウスイのサクラジョウスイダンチに向かった。
団地は、桜上水駅から南に3分ほど歩けば現れた。木々が生い茂る森のようなところに、サクラとイチョウと建物が一体になって呼吸をしているような閑静な旧い 17棟の団地だった。23区内に、世田谷に、駅近くに、こんな樹木に溢れる豊かな場所があったのか。暗くて寒い夜だったがココロを奪われた。
4階角部屋のツマの部屋も驚きだった。目の前は日本大学の陸上トラックで、視界を遮るものは何もなかった。開口部の広い窓からの眺めにハッとして口が開いた。美しい夜空だった。
半年後、付き合うようになり、団地に通い始めたが団地の魅力は増すばかりだった。四季豊かな5000本の樹木は、イライラしているときは気持ちを和らげ、落ち込んでいるときは盛り立ててくれた。どんなときもそっと寄り添ってくれる大きな木々だ。サクラ満開の春は木々の喜びが団地全体に充満していた。
旧い建物なのでガタは多かった。歪んでいる窓サッシ、回らないドアノブ、貧弱な風呂のお湯。ガス栓は固まっていたし、水道管は破裂した。それでも、そのひとつひとつを補修し、生活が少しずつ快適になった。どうすることもできなかった冬の隙間風や夏の暑さだって、僕の身体を強くしてくれた。風邪を引かなくなった。ハイテク志向が強かった自分が、新しい快適な設備なんて身体を弱くするだけだ、という意見に変わった。
人も素敵だった。隣は某セレクトショップの創業メンバーのお洒落ファミリーだったし、向かいには椅子作家の先生が住まれていた。デザイナーやアーティストの方も多くいらっしゃった。下の階に住むおばあちゃんに柿をあげると、悪い膝で階段を登ってきて、おかきをくれた。
友達もたくさんやってきた。大晦日もサクラの季節も銀杏の季節も遊びにきてくれて、花見や拾ったギンナンで酒を飲んだ。大事な友達夫婦とも知り合えたし、遠くから泊まりにきてくれた友達も少なくなかった。ツマはいつも飲み過ぎていたが、いい思い出ばかりだ。
そして何より、あの日にこの団地に来なければ、今の僕はない。ツマとネコに出会えたのだ。誘われていた違う呑み会を選んでいたら、ツマとも付き合ってなかったかもしれないし、団地でなければハイテク志向のままだったかもしれない。セミの抜け殻やギンナンは絶対に拾っていなかった。
僕らの縁を結び、僕の成長を後押ししてくれた愛着いっぱいの団地。部屋から思い出と荷物を少しずつ運び出した。45年の歴史からみたら、僕の5年間など短く小さい期間だろうけど、それでも僕にとっては夢のような生活だった。空になった部屋に心より感謝をしたい。
2011年2月18日 20:35 | | コメント (1)
一年前
去年の今頃。カマタがネットで何気なく見つけた店舗物件を見に行った。
経堂すずらん通りの物件だ。 正直、僕は店を始めることには消極的で、今まで通りネット販売とウェブ製作、たまにイベントなどなどでいいじゃん、という意見だった。店を始めるには、絶妙のタイミングと価格で買えた武蔵小金井の小さな中古マンションを売らなければいけなかったし、何より絵本や雑貨、ギャラリーとは無縁に生きてきた僕がサポートとはいえ絵本や雑貨やギャラリーをやる自信がなかった。
まあ見るだけ、とありがちな理由で引っ張られて見に行ったその物件は、喜ばしいことにもう契約されていた。仲介をしている隣の不動産屋さんによると、ブルガリア人のパン屋になるそうだ。カマタ的には残念だったけど、この時点でも僕は密かに安堵していた。
しかし、「あなた達、店を探しているの?実はね・・・」とまるで女の子の秘密を教えてくれるかのように不動産屋さんが店内に招き入れてくれた。
聞けば、一ヵ月後に不動産屋を駅前に移転するのでここが空き物件になるという。東欧の絵本やポスターを扱う僕らとしては、隣がブルガリアのパン屋だなんて最高のロケーションのように僕でも思えた。加えて、すずらん通りには、はるかぜ舎さんという素敵な文房具屋さん、ギャラリーカフェのロバロバカフェ、焼き菓子が有名なcura2があった。これはやるしかないっしょ、と始まったのが一年前。
そんな素人丸出しの僕や手作りのボロい店を、温かい目で見守ってくれているお客さん、情熱を注いでくれる作家さん、応援してくれる経堂の個人店の皆さん、友人たちにあのきっかけから一年経った今、この場を使って改めて感謝したいと思いました。作家さんの情熱やお客さんの優しさに恥じないようにやっていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。
(写真は6月にやったオカダン祭の展示)
2010年10月18日 21:40 | | コメント (2)
写真展御礼
5月20日から30日まで開催したキューバポスターとダイ小林写真展。「やっちまおう」という軽いノリの写真展だったのですが、たくさんの方にお越しいただきました。
楽しそうに観ていただいている方がいれば嬉しくなり、一瞥して店を出て行かれるお客さんがいれば(多数ですが)落ち込んだりと、なんとも気持ちの振幅がデカい10日間でした。それでも、お客さんとキューバビールを飲んだり、旧い友達が作家っぽくしている僕の展示を大爆笑してくれたりして楽しかったです。
みなさん、ありがとうございました!
さて、お客さんに投票いただいた「ナンバーワン・キューバ人を決めよう」の結果です。
投票総数:121票で栄冠に輝いたのは、10票の葉巻のおじさんでした。
2位は、犬とおじさん(7票)、3位は、白いヒゲの葉巻おじさんとボウズのおじさん(6票)でした。
1位のおじさんには、今度キューバに行くときに、探して賞品を渡したいと思っています。(会えるのか?)
ウレシカでは、楽しい展示やイベントをやっていきますので、今後ともよろしくお願いします!
2010年6月 2日 16:40 | | コメント (0)
キューバポスターとダイ小林写真展
キューバポスター展と写真展をウレシカの店舗でやります!
写真知識まるでなしの僕が、カタコト言葉とゼスチャーで撮影をお願いしたキューバの人達100人以上を展示します。まあ、とりあえず人生を楽しもうよ、という人懐っこい葉巻売りのオジサン、「日本人だー!」と遠くから握手を求めてきたオジサン、「お前の髪、硬そうだな、切らせてくれ」と言う床屋のオジサン、最高の笑顔をしてくれたかと思ったら、「撮影代をよこせ」と言ってきたオジサン、弾けるような笑顔のウェイトレスさんなど、ココロが温まった様々な人達の写真です。
「キューバポスターとダイ小林写真展」
2010年 5月20日(木) - 5月30日(日)
URESICA SHOP&GALLERY(東京・世田谷区経堂)
情熱的でグラフィカルなキューバポスターの展示・販売と
ウレシカの脱線系スタッフ、ダイ小林がキューバで出会った
100人以上の人々や街角スナップなどの写真を展示します。
WEBショップ未掲載のポスターや、メキシコの民芸品や雑貨も一部展示販売します。
2010年5月19日 21:09 | | コメント (0)
東京ー長崎バイク旅 後編
4月24日
早朝、松江市のフェリー乗り場、七類港へ。またしても雨。この朝が最後の雨だったが、雨バイクは心底つらかった。どうすれば楽しくなれるか走りながら妄想したが、お金や権力や平和よりもエロいことを考えるのが雨を忘れるのに一番効果的だった。フェリーの料金は、2等2,840円+バイク2,520円。所要2時間半。大広間の2等室は雑魚寝で楽しい。隠岐の港には友達の奥さん、フミエさんが向かえにきてくれていた。初めてお会いするが90ccのバイクで旅をしているのは僕ぐらいしかいないので、すぐに見つけてくれた。家まで15キロと言われて驚いた。なんでも島の外周は150キロぐらいあるそうだ。隠岐はデカい!隠岐の島に宿る自然の力を感じつつ、よく整備された道を走る。海と山のなんと美しいことか。
それから、モンゴルで知り合ったフルさんが営む針灸の診療所兼自宅に行き、8年ぶりの再会。うれしくて涙がでた。
その後、猟師さんにごっそりサザエをもらったり、本土で教員をしているシモザワさんカップルに岬で出会った。明るい先生シモザワさんの彼女ミヤモトさんはシャイで隠れがちだったがiPhoneの話しを楽しくしてくれた。ありがとう。
帰ってフルさんと飲み屋に行って、隠岐の焼酎を飲んだ。楽しい一日だった。
25日

昨晩、飲み屋で知り合った棟梁の中村さんに誘われて魚の箱詰め作業。発砲スチロールの箱にテトリスみたいに魚を押し込む。丁寧に水揚げ、梱包された魚がトラックでどこかにいってしまった。ちゃんと残さず食べてほしいと勝手に生産者気分。フミエさんと流木を拾いに行き、持って帰れそうなサイズを2つ拾う。午後の便で本土へ戻る。
日本海側の国道9号を西へ。夕日が日本海に沈んでいくのを横目に走った。胸が熱くなった。まだ感動できる。
出雲大社に寄るが、暗すぎて怖くなり入り口を眺めただけ。その後、宿を探しにひたすら西へ。島根はどこまで行っても島根。国道は真っ暗でみんな飛ばしてドキドキ。ホテルはあまり見つからず、ラブホテルに泊まるしかないかな、と不安になりはじめたところに温泉津(ゆのつ)温泉郷登場。迷わず飛び込む。100年の歴史のある、ますやさんに素泊まり。5500円。生き返った。
26日
いざ九州へ。日本海側の国道9号から191号の道は、このバイク旅のハイライトとなった。きらめく日本海と一緒にどこまでも走れる。特に山口県の角島にかかる低い橋は、まるで海面を走っているようだった。美しい国だ。
下関にある友達の実家にアポなしで寄り、お茶をして開門トンネルへ。90ccの通行料は20円。原付だったら人道を押さなければいけなかった。トンネルを抜けるといつの間にか九州へ。一瞬、違う国へ来た感じがしたが勝手な思い入れだろう。国道3号を走り博多へ。都会だ。流木積んでいるので恥ずかしい。
夕方、ウレシカのロゴデザインをしているオカダン・グラフィックに到着。オカダンと2年ぶりの再会。うれしかった。巨峰と柿の果樹園を営む中山姉妹も合流し、鍋を食べる。「記録でもつくりたいの?」と極めて冷静に言われる。
27日
バイクをあっさり諦めてバスで長崎へ。所要2時間で料金2500円。寝ていても到着できる。カマタのお母さんにお会いする。行く先々で「嫁を置いて男一人で何を遊んじょる!早く帰って仕事しなさい」と言われヘコんだと話すと、あなたって意外とナイーブね、と言われてさらにヘコむ。
28日
朝一で長崎手ぬぐいを扱うお店にご挨拶。3年前から取り扱わせください、とお願いしている。その後、バスで博多に戻り、オカダンに昼ごはんを作ってもらい、北九州の港へ。2泊3日のフェリーで東京まで帰る。2等14,470円+バイク9,220円。19時出発で東京に着くのは明後日の5時半。神戸―上海の鑑真号並み。チベット人の女の子を追っかけて鑑真号に乗船していた大学生のことを思い出す。チベットの恋愛について熱く語っていた。彼の恋はどうなったのだろうか。夕日が美しかった。
29日
9時ぐらいに徳島に寄港。船から見る徳島の港も美しかった。その後は船酔いとの戦い。ミイラみたいな格好で寝るしかなかった。
30日
東京到着。吉野家の朝定食を食べたあと、無事に自宅到着。疲れたが充電完了といった感じでやる気満々。これからがんばろう。
今回、バイクの知識もほとんど持たない僕が、'75年製のボロバイクで福岡まで楽しく行けたのは、バイクに大きな故障がなかったことがもちろん大きいですが、出会った人達、再会した友達、いつも黙って行かせてくれる妻の支えなしにはありえませんでした。僕は、いつもいろんな人に支えられてきました。毎回、ありがとうしかありません。このブログで感謝というのは、ちょっと違うかな、とも思いますが、この場を使ってお礼を申し上げます。ありがとうございました。
90ccバイク旅2010
総走行距離:1693キロ(メーター計算)
ガソリン使用量:47.13リットル(給油回数16回)
2010年5月13日 10:15 | | コメント (2)
東京ー長崎バイク旅
だいぶ時間が経ってしまいましたが、バイク旅のまとめです。
4月20日
国道1号線をひたすら西へ。どしゃぶりで寒くて、まったく面白くないがもう戻れない。250キロ走り、浜松到着。スーパー銭湯があったので、ひと風呂あびる。500円。その後、アメリカで会った友達、マイコ夫妻の家に泊まる。セレブマンションで、ビチョ濡れが申し訳ないがほっとした。
21日
朝6時に神戸へ出発。1号線をひたすら西へアゲイン。半キャップのヘルメットはさすがに辛い。リサイクルショップでしっかりしたヘルメットを買う。2100円。快適になった。姫路の中古バイク屋の前でバイクが止まる。ただのガス欠なのに「ちょっとエンジン見てください。」いつも自分は焦ってしまう。 その後、神戸の叔父の家に泊めてもらう。ハチャメチャな僕をいつも優しく受け入れてくれる。この日は280キロ走った。
22日
雨が強いので、神戸でもう一泊。電車で大阪まで行き、東欧雑貨のお店などにご挨拶。ちゃんと仕事もしているぞ、というポーズ。 モンベルのインナーを上下で買う。12000円ぐらいだったが、これがなかったら、その後ヤバかった。商品の前で長らくウジウジしていたけど、ナイス判断だった。
23日
神戸出発。隠岐の島行きのフェリーのために前泊。米子で泊まろうと思ったけど、途中の「温泉」という文字に惹かれ、皆生温泉に泊まる。素泊まり3500円の古いホテル。近くのお寿司屋さんで、地元の獣医さんと知り合う。アルマジロの皮膚病をみてくれ、と言われた話が面白かった。調子に乗って、あまり飲めないお酒を頼んでみる。男一人山陰の旅。飲まないわけにはいかない。なんかカッコいい。しかし、お湯割りで!と頼んだお酒が日本酒だったので店員のみなさんがざわつく。あわてて焼酎に訂正。日本酒はお湯割りしないことを35歳で始めて知った。なんと恥ずかしいことか。カッコつけると大体失敗してきたはずなのに、またカッコつけた。この日は260キロ。
つづく
2010年5月11日 14:52 | | コメント (0)
マスク犬
ウィーンの自転車12
長崎まで行こうと思っている僕のバイク、スズキ・バンバン90。2年前に買って以来、非力だけど、どこまでも行けるんだ、という感覚が好きで、いまだに楽しくて仕方がないです。
しかし、70年代のバイクなので、とにかくボロい。15万で買って、半年後にはエンジン修理等で15万。パンクは2回、搭載するラジコン用バッテリーが燃えて、肝を冷やしたのは3回、スピードメーターと距離計が壊れ、ブレーキ、アクセル両ケーブルも交換。こんなエコエコ時代に「申し訳ございません」としか言いようのない2ストの白煙。マイナス面は挙げれば無限にでてきます。・・・・・。
4日後出発なのに、ブログ書いてたら、なんか不安になってきた。。
ブダペスト駅で会ったウクライナ女性
15年前に吉祥寺の焼肉屋でバイトをしていました。
当時、たびたび副店長に怒られていた僕に「大ちゃんの言葉遣いはまるでなっていないけれど、お客さんにキャラクターは伝わっているから、そのままでいいよ」と店長のYさんから言われました。この言葉は、若く鬱屈していた僕には本当に嬉しくて、おかげで僕はその後もずっとそのままです(笑)その店長Yさんが独立して開いたお店が「1ヶ月予約の取れない焼肉屋」になっていることを友達のブログで知りました。なんでも国産牛が安くて旨く、連日満員だそうです。いきたいなー。
焼肉問屋 牛蔵
東京都練馬区貫井3-10-2 コイケビル 2F
蚤の市のおじいさん
ウィーンの自転車11
25階建てのマンションやショッピングモールなどができた武蔵小金井駅をバイクで走っているとき、この急激な人口増加、し尿増加に地下を通る下水道は果たして耐えられるのだろうか?とふと気になり、用事を済ませたついでに小平市のふれあい下水道館へ。ここの目玉は、地下25mの実際に市民が使用している下水道を見学できるという信じられないもの。直径6m弱の巨大な下水道をチョビチョビ流れる下水からは当然ながら微妙な臭気があり、懐かしくも非常に不愉快で、いやなふれあい。 来館者は僕一人だったので、下水道についていろいろ質問。下水の歴史、下水管の素材、油を流すとどうなるのかなど丁寧に教えていただきました。
ちなみに小平市の下水道は人口予測や都市計画に則って整備されているそうなのでキャパは十分なのだそうです。あースッキリした。
ウィーンの自転車10
切手屋のおじさん
経堂には、個人でやられているお店が多く、その店主の方々とお会いする機会が増えました。そのたびに僕は「ウレシカの小林です」と自分を自嘲気味に紹介するのですが、コバヤシと呼ばれたくない自分としては、なんか気持ち悪さが残ります。 しかし、ウレシカのダイスケです、というのも初対面の方々には馴れ馴れしくはないか。旅や友達ではなく、何年も何十年も経堂で経営されている諸先輩方に「コール・ミー・マイク」などと言っているようで、あまりにも無礼で、自分の薄っぺらさを露呈してはいないだろうか。コバヤシだと自分がくすぐったく、ダイスケだと場の空気が凍る。毎回、自己紹介の場面で緊張しています。
ウィーンの自転車9
今日、バイク用パーツ専門店の駐車場で、僕の目の前でビックスクーターに乗った男性の靴が脱げました。怪我のためか左足を不自由にしてらしたので、その靴を拾い、履かせてあげると、コーヒーを奢らせてほしい、と言われました。50才のノグチさん(仮名)は、4年前に睡眠薬を大量に飲み、そのまま横に倒れ、圧迫された左足には痺が残ってしまったそうです。でも、今はスネから下が不自由なんですよ、と明るく笑顔。そんなこととは露知らず、じゃあBOSSの金色のヤツで、などと、ちゃっかりコーヒーを奢ってもらっている自分はなんと図々しいのだろうか。今頃になって自己嫌悪。今度お会いできたら、お返ししたいです。
2010年3月 5日 18:07 | | コメント (0)
ブダペストの本屋さん
最近、登録したツイッターのアカウント。というか結構まえにアカウントはつくっていたのだけど、オバマやNBA選手のつぶやきをフォローするぐらいで、面白さを実感できないままID、パスワードを放置していました。
しかし、経堂に店舗みたいなものを作るにあたり、経堂の面白い人達と会ってみると、ツイッターが密接に新たなコミュニティーの場として機能し、雪だるまのように人が人をよんで、ドンドン転がりデカくなっていました。ここまでだったか、ツイッター。
しかし、アカウントを開設したにも関わらず、ほとんどつぶやくことができません。なぜつぶやけないのかというと、完全に乗り遅れたということもありますが、不特定多数(フォロ頂いた方は、ほとんどお会いした人ですが)に些細なことをつぶやくということに慣れていないというか恥ずかしさを感じてしまいます。
一度、そう考えてしまうと、このつぶやき以下のブログはもっと更新ができなくなり、オロオロしているここ2、3週間です。うーん。
写真は、ブダペストの本屋のゾルジさん。
ウィーンの自転車8
ポーランド、クラクフ駅売店のおばあちゃん
吉本隆明の共同幻想論を何年かぶりに立ち読み。相変わらず、まるでわからない。当方の成長、なし。今回は、がんばって1ページを読もうと思うも、トイレに行きたくなりトイレへ。結局、帰りの袋には、「新編集 忍者ハットリくん1巻」と寄藤文平の「元素生活」の2冊。ハットリくん、癒されるー。
2010年2月12日 13:25 | | コメント (0)
ウィーンの自転車6
「これは勝てない・・・」太くて硬い骨、しなやかで強い筋肉。
組んだ瞬間、モンゴル人の圧倒的な足腰の強さに驚きました。
ミルキーな食生活、厳しい気候のなかでの放牧生活。そんな彼らの身体能力の高さは、なんとなく想像はできていました。
しかし、僕の対戦相手は、14、5歳。しかも女の子でした。
9年前、ウランバートル郊外の草原でテントを張って寝ていたら、アンパンマンのような顔のあどけない女の子とその弟に相撲をしようと対戦を申し込まれました。小さい弟を何回か投げたあと、恥ずかしそうに挑んできた姉と組んだときのショックというか驚きは忘れられません。まったく歯が立たず、あっさりブン投げられたことよりもガタイの良さが衝撃的でした。
その後、モンゴル勢が角界を席巻し始めた頃、「ほらな、オレはわかっていたよ」という気分で、投げられたことを棚に置き、鼻が高かったです。
引退、残念だなー。
ブダペストの屋台ファミリー
ウィーンの自転車3
先週末、家に遊びに来る友達を驚かそうと、お洒落なイケメンカツラを買いました。
そう、僕の密かな夢は、カツラが必要な髪量になったときに、精度の高いカツラをかぶり、不満なときにカツラを地面に投げつけることです。その実現も兼ねて、選んだのはラパンドアールというメーカーのフェザーミッドレイヤー(ブラック)。「サイドが短く、トップの立ち上がりと空気感のあるパーマスタイル。」
これなら長髪過ぎず、黒くて、自然。モテ・ワイルド!(ちなみに今はボウズ伸びかけです)
そして当日、続々と友達がやって来ましたが、カツラをかぶったら恥ずかしくて人の目が見れない。早々と耐えられなくなり、突っ込まれる前に脱ぎ捨て降参。なんであんなに恥ずかしいんだろう。
ウィーンの自転車2
ウィーンの自転車
帰国前々日にウィーンで撮ったこの写真。
たまたま走ってきた自転車がド真ん中に写りこみました。それがとても面白くて、ブログ用の写真として、今回は走る自転車を撮ることにしました。
遠くから走ってくる自転車を捕捉し、自転車のスピード、カメラとの距離を測り、風景を撮ると見せかけて、構えてパシャリ。
撮っているときは、かなり楽しくて、まとめて3台が撮れたときは、100キロのマグロを釣った猟師のような高揚感(たぶん)でした。
しかし、帰国後、冷静にパソコンでみると、なんかイマイチ。マグロの鮮度はすっかりなくなっていました。食えんのか?これ。
ブダペスト国会議事堂の守衛さん
おじさんの犬
テレビを見ていたら、口呼吸の重要性を放送していました。
なんでも日本人の3分の2が口呼吸で、当然ながら口呼吸はウィルスを体内に取り込み易いということでした。
自分はというと、また口が開いている!と子供の頃から叱られ続け、30数年。
知人から鼻呼吸を勧められ、口にテープを貼って睡眠したり、割り箸をくわえたりもしましたが、どうも無意識で口が閉じられません。
電車で起きたら、シャツにヨダレ。バスケのドリブル中に興奮してヨダレ。アイスを口に入れる前にヨダレ。もはや犬です。
鼻呼吸、ウィルス云々よりも、しっかり口が閉じてる人間になりたい!
これは強靭な意志と手段で矯正するしかない、夜だけでなく起きている時もだ!、と思いでっかいガムテープを口に貼りつけ、このブログを書いています。
うーん、しゃべりたい。コーヒーが飲みたい。叫びたい。
通信手段
10年で劇的に変わったのは、何といっても通信環境です。
1999年当時、海外で自分の端末を使い、メールなりHPをアップしようと思ったら大変でした。通信衛星を利用するインマルサット通信、衛星携帯電話イリジウム、各国プロバイダーに電話線を介して接続するローミングサービスなどがありましたが、どれも従量課金制で高額なものでした。そのなかでも板状のアンテナを衛星に向かって広げるインマルサットが笑えるかなと思い、実物を見に行きましたが、機材がデカ過ぎで断念しました。結局、一番安いAT&Tのグローバルローミングサービスに加入しましたが、ホテルや宿では接続が難しく、ほとんど役に立ちませんでした。
それが現在では、多くのホテルでWiFiが完備され、部屋からiPhoneで「今、充電器から火がでました!」などと即座にTwitterに書き込みができます。さらに、それを日本で読んだ友達が、ブダペストで充電器を売っている店をネットで探し、数時間も経たないうちに教えてくれるという時代です。
10年後には、一体どうなっているのか楽しみでもあり、不安でもあります。
自転車レーン
今回は、10年ぶりのウィーンでした。
前回は、ブルガリアで買った自転車でのチャリ旅だったので、僕にとっては休息地という感じでしたが、泊まった宿がよくなかった。
円筒形の高層ホステルで、6階にある部屋まで自転車をフラフラで担ぎ上げ、上のベッドには怪獣のようなイビキをかくギリシア人のおっさん。轟音に耐えるため、頭まで被った毛布には南京虫が寄生。全身ボリボリ掻きながら、決して綺麗とは言い難い洋服で観光するも、物価の高さや重厚な歴史的建物、大人の街的な感じが自分のいるべき場所ではない、と思わせました。
そんな苦い記憶のウィーンで、最も印象に残っているのは、自転車の走りやすさです。車道と歩道から区切られた自転車専用レーンが見事に整備され、走っている自転車もそんなに多くはありませんでした。怪獣から逃れられた喜びと南京虫の痒さをお土産に、ウィーンを荷物満載のボロチャリで一周したのを覚えています。
再開
あけましておめでとうございます!
長い間、無かったことになっていたこのブログ。再開を望む声は、まるでないのに、また始めちゃいます。
今回は、中欧編!
と鼻息荒くいきたいのですが、キューバと違い、人の写真はほとんど撮れませんでした。
ヨーロッパの都会的で忙しそうな場所では、写真をお願いすることはなんとも気が引けたのに加え、言葉の壁も分厚く、ドイツ語、チェコ語、マジャール語、ポーランド語と寄った4カ国すべて違う言語。「ありがとう」しかしゃべれないのでは、撮影の突破口は開けん、ということが身に染みました。
そんなわけで、スタート初日から写真の少なさに早くも弱気ですが、今年も1年ウレシカ共々よろしくお願いします!
写真は、ブダペストのバスで会ったおじいちゃん。
蚤の市への降車バス停を聞いたのですが、うまく伝わらず、結局この後2回バスの乗り直し(涙)
しばしのお別れ
カップル
初めてキューバを意識したのは、2000年の7月でした。バルセロナの韓国人宿の隣のベッドに居座っていたドイツ人が、キューバは最も成功した社会主義国だ、お前もカストロ体制が終わる前に行くべきだ、と話してくれました。東欧諸国の多くがビザをも求めなくなっていたあの頃、成功した社会主義国というフレーズは、長期貧乏旅行の終盤で旅に疲れていた僕にも魅力的で刺激がありました。
以来、人生の脱線を繰り返しても、いつかはキューバへ、という想いは持ち続け、去年行くことができました。経済的に疲弊しているキューバを、成功した社会主義国と言えるかどうかは僕にはわかりませんが、人々の底抜けの明るさや情熱はあの頃想像もできなかったキューバの特色です。そしてそれにすっかりハマってしまった今の僕の想いは、近いうちにキューバへ、になっています。
床屋
写真枯渇のため、このブログを今月いっぱいでひとまず休止したいと思います。
毎日、キューバ人のナイススマイルを紹介し、温かい気持ちになれれば、と思い始めましたが、紹介できるような写真が底をつきましたので、遺憾ながら休止させていただきます(涙)。
夏ぐらいからは、もはやキューバとはまるで関係がない日常のぐだぐだブログになり、明らかに手抜きの更新も増えました。それでも毎日何十人かの方々から見ていただいて、とても感謝しております。またいつかこっそり再開したいと思ってますので、たまに覗いてみてください。(まだ3日ありますが・・・)























