切手屋のおじさん
経堂には、個人でやられているお店が多く、その店主の方々とお会いする機会が増えました。そのたびに僕は「ウレシカの小林です」と自分を自嘲気味に紹介するのですが、コバヤシと呼ばれたくない自分としては、なんか気持ち悪さが残ります。 しかし、ウレシカのダイスケです、というのも初対面の方々には馴れ馴れしくはないか。旅や友達ではなく、何年も何十年も経堂で経営されている諸先輩方に「コール・ミー・マイク」などと言っているようで、あまりにも無礼で、自分の薄っぺらさを露呈してはいないだろうか。コバヤシだと自分がくすぐったく、ダイスケだと場の空気が凍る。毎回、自己紹介の場面で緊張しています。
ウィーンの自転車9
今日、バイク用パーツ専門店の駐車場で、僕の目の前でビックスクーターに乗った男性の靴が脱げました。怪我のためか左足を不自由にしてらしたので、その靴を拾い、履かせてあげると、コーヒーを奢らせてほしい、と言われました。50才のノグチさん(仮名)は、4年前に睡眠薬を大量に飲み、そのまま横に倒れ、圧迫された左足には痺が残ってしまったそうです。でも、今はスネから下が不自由なんですよ、と明るく笑顔。そんなこととは露知らず、じゃあBOSSの金色のヤツで、などと、ちゃっかりコーヒーを奢ってもらっている自分はなんと図々しいのだろうか。今頃になって自己嫌悪。今度お会いできたら、お返ししたいです。
2010年3月 5日 18:07 | | コメント (0)
ブダペストの本屋さん
最近、登録したツイッターのアカウント。というか結構まえにアカウントはつくっていたのだけど、オバマやNBA選手のつぶやきをフォローするぐらいで、面白さを実感できないままID、パスワードを放置していました。
しかし、経堂に店舗みたいなものを作るにあたり、経堂の面白い人達と会ってみると、ツイッターが密接に新たなコミュニティーの場として機能し、雪だるまのように人が人をよんで、ドンドン転がりデカくなっていました。ここまでだったか、ツイッター。
しかし、アカウントを開設したにも関わらず、ほとんどつぶやくことができません。なぜつぶやけないのかというと、完全に乗り遅れたということもありますが、不特定多数(フォロ頂いた方は、ほとんどお会いした人ですが)に些細なことをつぶやくということに慣れていないというか恥ずかしさを感じてしまいます。
一度、そう考えてしまうと、このつぶやき以下のブログはもっと更新ができなくなり、オロオロしているここ2、3週間です。うーん。
写真は、ブダペストの本屋のゾルジさん。
ウィーンの自転車8
ポーランド、クラクフ駅売店のおばあちゃん
吉本隆明の共同幻想論を何年かぶりに立ち読み。相変わらず、まるでわからない。当方の成長、なし。今回は、がんばって1ページを読もうと思うも、トイレに行きたくなりトイレへ。結局、帰りの袋には、「新編集 忍者ハットリくん1巻」と寄藤文平の「元素生活」の2冊。ハットリくん、癒されるー。
2010年2月12日 13:25 | | コメント (0)
ウィーンの自転車6
「これは勝てない・・・」太くて硬い骨、しなやかで強い筋肉。
組んだ瞬間、モンゴル人の圧倒的な足腰の強さに驚きました。
ミルキーな食生活、厳しい気候のなかでの放牧生活。そんな彼らの身体能力の高さは、なんとなく想像はできていました。
しかし、僕の対戦相手は、14、5歳。しかも女の子でした。
9年前、ウランバートル郊外の草原でテントを張って寝ていたら、アンパンマンのような顔のあどけない女の子とその弟に相撲をしようと対戦を申し込まれました。小さい弟を何回か投げたあと、恥ずかしそうに挑んできた姉と組んだときのショックというか驚きは忘れられません。まったく歯が立たず、あっさりブン投げられたことよりもガタイの良さが衝撃的でした。
その後、モンゴル勢が角界を席巻し始めた頃、「ほらな、オレはわかっていたよ」という気分で、投げられたことを棚に置き、鼻が高かったです。
引退、残念だなー。
ブダペストの屋台ファミリー
ウィーンの自転車3
先週末、家に遊びに来る友達を驚かそうと、お洒落なイケメンカツラを買いました。
そう、僕の密かな夢は、カツラが必要な髪量になったときに、精度の高いカツラをかぶり、不満なときにカツラを地面に投げつけることです。その実現も兼ねて、選んだのはラパンドアールというメーカーのフェザーミッドレイヤー(ブラック)。「サイドが短く、トップの立ち上がりと空気感のあるパーマスタイル。」
これなら長髪過ぎず、黒くて、自然。モテ・ワイルド!(ちなみに今はボウズ伸びかけです)
そして当日、続々と友達がやって来ましたが、カツラをかぶったら恥ずかしくて人の目が見れない。早々と耐えられなくなり、突っ込まれる前に脱ぎ捨て降参。なんであんなに恥ずかしいんだろう。
ウィーンの自転車2
ウィーンの自転車
帰国前々日にウィーンで撮ったこの写真。
たまたま走ってきた自転車がド真ん中に写りこみました。それがとても面白くて、ブログ用の写真として、今回は走る自転車を撮ることにしました。
遠くから走ってくる自転車を捕捉し、自転車のスピード、カメラとの距離を測り、風景を撮ると見せかけて、構えてパシャリ。
撮っているときは、かなり楽しくて、まとめて3台が撮れたときは、100キロのマグロを釣った猟師のような高揚感(たぶん)でした。
しかし、帰国後、冷静にパソコンでみると、なんかイマイチ。マグロの鮮度はすっかりなくなっていました。食えんのか?これ。
ブダペスト国会議事堂の守衛さん
おじさんの犬
テレビを見ていたら、口呼吸の重要性を放送していました。
なんでも日本人の3分の2が口呼吸で、当然ながら口呼吸はウィルスを体内に取り込み易いということでした。
自分はというと、また口が開いている!と子供の頃から叱られ続け、30数年。
知人から鼻呼吸を勧められ、口にテープを貼って睡眠したり、割り箸をくわえたりもしましたが、どうも無意識で口が閉じられません。
電車で起きたら、シャツにヨダレ。バスケのドリブル中に興奮してヨダレ。アイスを口に入れる前にヨダレ。もはや犬です。
鼻呼吸、ウィルス云々よりも、しっかり口が閉じてる人間になりたい!
これは強靭な意志と手段で矯正するしかない、夜だけでなく起きている時もだ!、と思いでっかいガムテープを口に貼りつけ、このブログを書いています。
うーん、しゃべりたい。コーヒーが飲みたい。叫びたい。
通信手段
10年で劇的に変わったのは、何といっても通信環境です。
1999年当時、海外で自分の端末を使い、メールなりHPをアップしようと思ったら大変でした。通信衛星を利用するインマルサット通信、衛星携帯電話イリジウム、各国プロバイダーに電話線を介して接続するローミングサービスなどがありましたが、どれも従量課金制で高額なものでした。そのなかでも板状のアンテナを衛星に向かって広げるインマルサットが笑えるかなと思い、実物を見に行きましたが、機材がデカ過ぎで断念しました。結局、一番安いAT&Tのグローバルローミングサービスに加入しましたが、ホテルや宿では接続が難しく、ほとんど役に立ちませんでした。
それが現在では、多くのホテルでWiFiが完備され、部屋からiPhoneで「今、充電器から火がでました!」などと即座にTwitterに書き込みができます。さらに、それを日本で読んだ友達が、ブダペストで充電器を売っている店をネットで探し、数時間も経たないうちに教えてくれるという時代です。
10年後には、一体どうなっているのか楽しみでもあり、不安でもあります。
自転車レーン
今回は、10年ぶりのウィーンでした。
前回は、ブルガリアで買った自転車でのチャリ旅だったので、僕にとっては休息地という感じでしたが、泊まった宿がよくなかった。
円筒形の高層ホステルで、6階にある部屋まで自転車をフラフラで担ぎ上げ、上のベッドには怪獣のようなイビキをかくギリシア人のおっさん。轟音に耐えるため、頭まで被った毛布には南京虫が寄生。全身ボリボリ掻きながら、決して綺麗とは言い難い洋服で観光するも、物価の高さや重厚な歴史的建物、大人の街的な感じが自分のいるべき場所ではない、と思わせました。
そんな苦い記憶のウィーンで、最も印象に残っているのは、自転車の走りやすさです。車道と歩道から区切られた自転車専用レーンが見事に整備され、走っている自転車もそんなに多くはありませんでした。怪獣から逃れられた喜びと南京虫の痒さをお土産に、ウィーンを荷物満載のボロチャリで一周したのを覚えています。
再開
あけましておめでとうございます!
長い間、無かったことになっていたこのブログ。再開を望む声は、まるでないのに、また始めちゃいます。
今回は、中欧編!
と鼻息荒くいきたいのですが、キューバと違い、人の写真はほとんど撮れませんでした。
ヨーロッパの都会的で忙しそうな場所では、写真をお願いすることはなんとも気が引けたのに加え、言葉の壁も分厚く、ドイツ語、チェコ語、マジャール語、ポーランド語と寄った4カ国すべて違う言語。「ありがとう」しかしゃべれないのでは、撮影の突破口は開けん、ということが身に染みました。
そんなわけで、スタート初日から写真の少なさに早くも弱気ですが、今年も1年ウレシカ共々よろしくお願いします!
写真は、ブダペストのバスで会ったおじいちゃん。
蚤の市への降車バス停を聞いたのですが、うまく伝わらず、結局この後2回バスの乗り直し(涙)
しばしのお別れ
カップル
初めてキューバを意識したのは、2000年の7月でした。バルセロナの韓国人宿の隣のベッドに居座っていたドイツ人が、キューバは最も成功した社会主義国だ、お前もカストロ体制が終わる前に行くべきだ、と話してくれました。東欧諸国の多くがビザをも求めなくなっていたあの頃、成功した社会主義国というフレーズは、長期貧乏旅行の終盤で旅に疲れていた僕にも魅力的で刺激がありました。
以来、人生の脱線を繰り返しても、いつかはキューバへ、という想いは持ち続け、去年行くことができました。経済的に疲弊しているキューバを、成功した社会主義国と言えるかどうかは僕にはわかりませんが、人々の底抜けの明るさや情熱はあの頃想像もできなかったキューバの特色です。そしてそれにすっかりハマってしまった今の僕の想いは、近いうちにキューバへ、になっています。
床屋
写真枯渇のため、このブログを今月いっぱいでひとまず休止したいと思います。
毎日、キューバ人のナイススマイルを紹介し、温かい気持ちになれれば、と思い始めましたが、紹介できるような写真が底をつきましたので、遺憾ながら休止させていただきます(涙)。
夏ぐらいからは、もはやキューバとはまるで関係がない日常のぐだぐだブログになり、明らかに手抜きの更新も増えました。それでも毎日何十人かの方々から見ていただいて、とても感謝しております。またいつかこっそり再開したいと思ってますので、たまに覗いてみてください。(まだ3日ありますが・・・)
クルマ(青)
先週、セレクトショップで買ったパンツ(ズボン)の裾を延ばしに行きました。買ったモノは、着る機会は極めて少ないのに、結構なお値段がするもので、僕の今までの下半身向けの洋服としては、一番高価なパンツです。洋服屋の気取った雰囲気が苦手なので、さっと履いて、さっと測って、はい終わり、と少しでも早く店から脱出したいと考えていました。しかし、ばっちりキメた長髪の店員から「ではフィッティング・ルームへ」と言われた瞬間に気分が萎え、「1.5cm」の裾だしでお願いします、と採寸をせずに退散しました。今日、引き取りにいきますが、やっぱり採寸すべきだった、1.5cmはやり過ぎた・・・となるのが目に浮かびます。今度は裾上げか。
大工修行中
犬
カミーロ
「チェ 28歳の革命」を見に行きました。チェのエンターテイメント的な英雄伝だと思っていましたが、実際は、ジャングルでのゲリラ活動や国連総会でのスピーチなどを中心に淡々と描かれていました。革命や人物の説明的な描写がほとんどないため、予備知識があったほうが楽しめます。見に来ていた12、3歳の子供はぐったりして、つまらなそうでした。
印象に残ったのは、革命のもう一人の英雄、カミーロ・シエンフエゴスでした。陽気なカミーロの方に僕はシンパシーを感じていましたので、作品の中でもその陽気さが描かれていて、重い空気のなか、ほっとできました。
キューバポスター
タイトル:CHE Comandante Amigo
デザイン:Antonio F. Reboiro(アントニオ・F・レボイロ)
カテゴリ:映画(キューバ 1978年) サイズ:760 × 510 mm
シルクスクリーン印刷/reprint/ICAIC
VIVA FIDEL
築40年以上経っている我が団地。ボロくても抜群の日当たりや眺望、5000本以上の樹木で囲まれた緑深い閑静な環境などとても気に入っています。しかし、お風呂だけは不満があります。
窓を閉めていても風通しが素晴らしい浴室は、中途半端に広く、身体を洗う気力を奪うほど底冷えします。浴槽脇に設置してある浴室内設置煙突式風呂釜という巨大な風呂釜は気まぐれで非力。あるときは超ぬるま湯、あるときは熱湯コマーシャルのような熱さを給湯し、湯量はとことんチョビチョビ。このお風呂が逆に身体を強くしてくれるかな、とポジティブに考えつつ、冬が過ぎるのを待っています。

































